千葉地方裁判所 昭和37年(行)1号 判決 1963年12月23日
原告 伊豆政雄
被告 千葉県知事
主文
本件訴を却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告は「別紙目録記載の農地ほか二筆に対する亡伊豆勇治郎と原告間の賃借権設定につき訴外和田町農業委員会のなした不許可処分に対する原告の訴願について、被告が昭和三六年一〇月二四日付でなした訴願棄却の裁決は別紙目録記載の農地につきこれを取り消す、訴訟費用は被告の負担とする、」との判決を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。
一、原告は、父伊豆勇治郎から昭和二八年一二月二五日同人所有の別紙目録記載の農地(以下たんに本件農地という。)ほか二筆を期間の定めなく、賃料を田は一反当り一か年につき金九五〇円、畑は一反当り一か年につき金八五〇円の約定で借り受ける旨の賃貸借契約を結び、訴外和田町農業委員会に対し昭和三五年一〇月二八日付で右賃借権の設定につき農地法第三条所定の許可の申請をなし、同委員会から同年一一月六日右賃借権設定不許可の通知を受けたので、原告はこれに対し昭和三六年一月四日付で被告に訴願したところ、被告は同年一〇月二四日付で右訴願棄却の裁決をなし、その裁決書は同年一一月二日原告に送達された。
しかし原告は被告のなした右訴願の裁決に不服であつたのでこれに対し同年一一月二四日さらに農林大臣に訴願したが、今日に至るも農林大臣から右訴願に対する裁決書を受領していない。
なおこの間父勇治郎は同年四月一一日死亡したが、その相続人である原告、その実母志ま、弟忠雄三名のうち原告と忠雄は相続を放棄したので、前記農地所有権など勇治郎の遺産に属する権利義務一切は志まが相続により単独で承継した。
二、そして、和田町農業委員会は原告が勇治郎および志まと同一世帯に属するものと判定して賃借権設定不許可の処分をなしたものであり、これに対する原告の訴願に対し被告は右と同一の理由により棄却の裁決をなしたものであるが原告は勇治郎および志まのいずれとも住居と生計を異にする別世帯のものであり、したがつて前記賃借権の設定は有効に成立したものであつて許可さるべきが当然であるから、右裁決は違法であつて、取り消さるべきである。すなわち、
(一) 原告は昭和二五年以来本件農地ほか二筆の耕作を続けていたのであるが、父勇治郎が昭和二八年一二月二五日家畜商の免許を受けて離農し家畜商人になつたのを機会として、この際原告と勇治郎間の権利義務を明確にしておくことが原告のためによいということから、前記のとおり同日右農地の賃貸借契約を結び、該農地を使用して引続き農業経営に当つてきた。
(二) 勇治郎は生前志まとともに原告の住居から約五米距つた場所に一戸を構えて原告と別居し、かつ昭和二八年一二月二五日以降は前記のとおり家畜商を営み、その収入若干と東京都に居住する二男の仕送りなどで生活して原告とは生計を異にしていた。そして勇治郎死亡後志まは昭和三七年五月から和田町立北三原中学校に使丁として勤務し、住居も右学校の構内に移転し現在に及んでいる。
右の次第で原告は勇治郎および志まのいずれとも住居と生計を異にする別世帯のもので、同人らの世帯員ではない。
三、よつて、被告のなした本件訴願棄却の裁決の取り消しを別紙目録記載の農地につき求めるため本訴に及ぶ。
以上のとおり述べ、
被告の主張に対し、
原告と勇治郎が住居と生計を一にするもので、同一の世帯に属すると被告は主張するけれども、被告の右主張事実は、県係官の現地調査の際になされた勇治郎の供述を根拠とするものであるところ、同人(右調査の二か月後に脳軟化症のため死亡。)は当時脳障害のため精神に異常をきたしていたので、その供述には信用がおけない、
と述べた。
被告指定代理人は、本案前の答弁として次のとおり述べた。
原告はその主張の和田町農業委員会のなした農地賃借権設定不許可処分に対し被告に訴願をなし被告はこれに対し昭和三六年一〇月二四日付で訴願棄却の裁決をなし、その裁決書が同年一一月二日原告に送達され、原告は右裁決を不服として同月二四日さらに農林大臣に訴願し、いまだこれが裁決がないままに本訴を提起したものであるが、農地法第八五条第一項(昭和三七年法律第一六〇号による改正前のもの。)は「左に掲げる処分に対し不服がある者は、農業委員会の処分に対しては都道府県知事に…訴願することができる。」と規定するとともに右訴願の対象となる処分を第一号から第七号まで七項目に分けて列記しているだけで、それ以外に都道府県知事のなした訴願の裁決に対しさらに上級行政庁に再訴願を許した規定はもとより都道府県知事のなした訴願の裁決を同条項にいわゆる都道府県知事の処分とみなす旨の規定は存しないから、本件において和田町農業委員会がなした農地法第三条第一項の規定による賃借権設定不許可の処分に対する行政庁による救済手段としては千葉県知事に対する訴願が許されているだけで、さらに農林大臣に対して訴願することはできないと解すべきであるから、原告としては被告のなした本件訴願の裁決に不服でその取消を求めようとするのであれば、右裁決のあつたことを知つたときから旧行政事件訴訟特例法第五条所定の出訴期間内に本件訴を提起すべきであつたものである。しかるに原告は前記のとおり昭和三六年一一月二日本件訴願裁決書の送達を受けて右裁決のあつたことを知つたにかかわらず、右特例法所定の六か月の出訴期間経過後である昭和三七年七月一三日に本件訴を提起したものであるから、右訴は出訴期間を徒過した不適法なものであつて却下せらるべきである。
右のように述べ、
本案につき「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする、」との判決を求め、答弁として
原告主張の請求原因事実第一項のうち、原告とその父伊豆勇治郎の間で原告主張の日その主張のような農地賃貸借契約が締結されたとの点は否認、勇治郎の死亡により原告主張のような経緯で志まが相続により単独で勇治郎の遺産に属する権利義務一切を承継したとの点は不知、その余は全部認める。
同第二項の冒頭部分のうち、和田町農業委員会および被告がなした処分および裁決の理由がいずれも原告主張どおりであることはこれを認めるけれども、その余は否認する。
同第二項の(一)のうち、勇治郎が昭和二八年家畜商の免許を受けて離農し家畜商人になり、その後は原告が本件農地ほか二筆を使用して農業経営に当つてきたことは認めるが、その余は否認する。
同第二項の(二)のうち、勇治郎が家畜商を営み、東京都に居住する二男から仕送りを受けていたことおよび志まが勇治郎死亡後原告主張のような職場に勤務し転居したとの点はいずれも不知、その余は否認する。
と述べ、
被告の主張として、
原告と勇治郎は同一の世帯に属するものであつて、本件訴願の裁決は右の事実に基づきなされた適法のものであり、なんら取り消さるべきかしは存しない。すなわち、
農地法第二条第五項には「耕作・・・の事業を行う者の世帯員が農地について有する所有権その他の権利はその耕作の事業を行う者が有するものとみなす。」と規定され、しかして同条第六項によれば右にいわゆる世帯員とは「住居および生計を一にする親族をいう」ものと定められているので、本件において原告と勇治郎が同一の世帯に属するものであれば、原告の耕作する勇治郎所有の農地は、農地法上、原告が有する自作地とみなされる結果、原告が許可を求める本件農地の賃借権設定は、結局自作農が自作地について自己に賃借権を設定することに帰着し、その許可申請は農地法第三条により許可を与うべき案件に該当しない不適法なものとなるので、被告はその余の点の審査に先だち、まず原告と勇治郎の住居および生計の状況を実地に調査し、かつ原告提出の訴願書、同添付書類、和田町農業委員会の弁明書に基づき審査した結果、原告と勇治郎は次のとおり同一の世帯に属するものであると認められたので、本件訴願棄却の裁決をしたのである。
(一) まず住居についてみると、原告がその妻子とともに居住する家屋と勇治郎がその妻志まとともに居住する家屋(裁決理由中に原告の祖母が勇治郎と同居しているようになつているが、右は誤りであつて、祖母は原告および勇治郎のいずれにも属せず、後記宅地内に建てられた別棟の家屋に単独で居住している。)とは同一地番の宅地内に約一〇米へだてて別々に建てられ、両者は一応別居しているような体裁になつている。しかしながら原告らの居住する家屋は建坪約二〇坪のいわゆる母屋であるのに対し、勇治郎らの居住する家屋は四、五年前に右母屋に付属して建てられた建坪僅少の本建築でない建物で、しかも両家屋間の中間に存する井戸、流し場、風呂場などの施設はすべて両者により共同で使用されている。したがつて原告と勇次郎とは、それぞれ別棟の家屋に起居し寝食の場所を異にすることは否定できないにしても、その生活環境全般からみれば、一個の屋敷内に居住し生活の態様を共通にする者として両者住居を一にするものとみるべく、かつこのような事例は農村で屡々見受けられるが一般に住居を異にするように扱われていない。
(二) 次に生計についてみるに、原告および勇治郎に対する面接調査の結果によれば、(イ)原告は勇治郎夫婦に飯米を無償で供与していること、(ロ)勇治郎名義の公租公課などは原告が一切支払つていること、(ハ)原告の農業経営の一部を勇治郎の妻志まが無償で手伝つていること、(ニ)原告は勇治郎所有の農業用機器を無償で使用しているもののようであること、(ホ)勇治郎は、その家畜商としての平常収入はほとんど皆無であるため、独立して生計を維持することは不可能であることなどが明らかとなつたので、被告は右事実に基づき、原告と勇治郎はそれぞれ独立して別個に生計を立てているものでなく、両者は家計を一にする家族であると判定したのである。
(三) なお勇治郎が昭和二八年家畜商の免許を受けて離農し、その後は原告が本件農地を使用して農業経営に当つていても、農家ではかように老令の父親が営農から手を引いて子にこれを委ね、子は公租公課、その他種々の納付金などを負担して農業経営の一切をとり行うのが通例であつて、この場合親子間で営農の主体の交替があつても、農地は依然自作地とみなされるから、該農地につき親子間に賃貸借が設定されたといつても、農地法上はもとより、実際上も許可を与うべき理由は存しない。
(四) 以上の次第で、原告と勇治郎は住居および生計を一にする親族で、同一の世帯に属するものと認めるべきであつて、原告の耕作する勇治郎所有の本件農地ほか二筆は、農地法上原告の所有するものとみなされるから、右農地につき原告と勇治郎間の賃借権設定に対し農地法第三条所定の許可を求める同人の申請は、仮に原告主張のような契約が結ばれたとしても、不適法である。したがつて、和田町農業委員会のなした右賃借権設定の不許可処分は正当であり、また被告が前記認定に基づき右不許可処分に対する原告の訴願を棄却した裁決は適法である。
よつて原告の請求は失当である。
と述べた。
理由
まず本件訴の適否について考えるに、旧行政事件訴訟特例法第五条第一項によれば、行政庁の違法な処分の取り消しを求める訴は、処分のあつたことを知つた日から六か月以内にこれを提起しなければならない。そして原告が訴外和田町農業委員会のなした農地賃借権設定の不許可処分に対し被告に訴願をしたところ、被告がこれに対し昭和三六年一〇月二四日付で本件訴願棄却の裁決をなし、その裁決書が同年一一月二日原告に送達されたことは当事者間に争いがなく、反対の事情のない本件において、原告は右裁決書の送達を受けた日に本件訴願の裁決のあつたことを知つたものといわねばならない。しかるに原告は、右日時から六か月にあたる昭和三七年五月二日を徒過した同年七月一三日に本訴を提起したものであることは、記録上明白である。
そうすると本件訴は出訴期間経過後に提起された不適法のものをいわねばならない。
もつとも原告が本件訴願の裁決を不服として昭和三六年一一月二四日さらに農林大臣に訴願をなしたが、現在なお右訴願の裁決がなされていないこともまた当事者間に争いがないけれども、およそ訴願およびその訴願の裁決に対してさらに上級行政庁に提起する訴願は、旧訴願法第一条各号に列記せられている事件について同法に基づき提起する場合は格別、右事件以外の事項については法律に特別の定めがある場合に限つて許されるものと解すべきところ、農地法第八五条第一項(昭和三七年法律第一六〇号による改正前のもの。)によれば、本件賃借権設定の不許可処分のような農業委員会の同法第三条第一項の規定による許可に関する処分に対し不服がある者は、都道府県知事に訴願をすることができるものと定められているが、その訴願の裁決に対しさらに農林大臣に訴願することを許した規定はないのみならず、農業委員会の右許可に関する処分が旧訴願法第一条各号に列記せられた事件のいずれにも該当しない事項であることが明らかであるから、同法によつてもまたこれをなすことができないものといわねばならない。そうだとすると本件訴願の裁決に対しさらに農林大臣になされた原告の訴願は、これを許すべき根拠を欠く不適法のものであるから、右訴願が提起され、かついまだその裁決のないことは前記出訴期間の進行開始の妨げにならないというべきである。
してみれば原告の本訴請求は爾余の判断をまつまでもなく、不適法としてこれを却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 堀部勇二 岡村利男 辻忠雄)
(別紙目録省略)